正直なところだった

laksjidhyhuan

2016年08月08日 16:11

秋葉原は子どもの頃から身近な街の一つであっただけに、何かを書こうと思いつつも、なかなか言葉が見つからないというのが、・・・
 事件以来、秋葉原に足が向かなかった。すぐ近くの御徒町(おかちまち)までは行くことがあったが、秋葉原の街には何か目に見えないバリアが張られているような、現実から隔離されてしまった異次元の領域のような気がした。
 6月8日を境に、秋葉原が今までの秋葉原ではなくなってしまったような不思議な感覚・・・
 秋葉原という街が、急に現実感を失ってしまったような感覚・・・
 秋葉原という街が、かつての実体を失ってバーチャル化してしまったような感覚・・・
 うまく、言えない。
 
 私が生まれ育った町は、今は子どもの頃の面影もない。
 そんな変わり果てた町に降り立つと、その中にいる自分が故郷の風景から削除されてしまった、余所者のような感覚に囚われる。
 現実感を感じない風景の中にいる自分は、まるで霊のように実体を持たない影のような存在。
 過去の記憶とともにいる自分が、レイヤーの掛かった風景の中に立っていて・・・そう、この現在の風景はレイヤーに過ぎなくて、その下に自分の頭髮變幼知っている本当の町がある・・・
 レイヤーの中にいる自分は実体を持たない存在で、だからそこは自分にとってはリアルな世界ではないという感覚。
 たぶん、それが今、私が秋葉原に感じているものなのだろう・・・
 
 先週の日曜日、そんな秋葉原をたまたまクルマで通り掛った。
 事件のあった交差点の信号で止まると、工事中のビルの角に献花台が見えた。助手席にいた連れ合いは、献花台の前を通り過ぎる時にそっと手を合わせていた・・・
 1960年代、子どもの頃の秋葉原の記憶は曖昧で、それでも一つだけ明瞭な記憶として残っているものがある。
 小学校5年生の時に、クラスの悪童仲間と、秋葉原にあった交通博物館に行く計画を立てたことがあった。
 交通博物館は2006年に閉館となり、現在はさいたま市の鉄道博物館に生まれ変わっている。
 交通博物館の建物があった場所は、かつては万世橋駅だった。万世橋駅は1912年、明治45年に開業しているが、当時は中央本線の終着駅だった。
 1919年に中央線が東京駅まで延び、1925年に上野駅と神田駅が繋がって秋葉原駅ができると、すぐ近くの万世橋駅は縮小されて、東京駅にあった鉄道博物館が移転したのだという。
 この鉄道博物館が1948年に交通博物館と名前を変えた。
 万世橋駅の廃止對沖值は1943年、昭和18年のことだった。