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2016年06月10日

自分に似合うものを知っている人なのだ



考えてみると、30年前に比べて、年代ごとの服装の垣根は低くなっていると思う。
昔の大人たちに比べ、今泡菜 食譜の大人は若い恰好をしている。
子ども時代、私の母も近所のおばさんも、胸にかわいいキャラクターの大きなプリントのついたパーカーなんて、着たりはしなかった。
そういうものは若い子の着るものだった。
世の中もいろいろ変わったし、そこで生きている人々の感覚も変化してきている。
今は好きなものを好きに着ていい時代!
似合ってさえいればいいのだ。
しかし、この似合っているかどうか ということが意外に落とし穴だったりもする。

もうずいぶん前になるが、テレビで見たピーコさんのファッションチェックでのトークを思い出す。
「今の人ってね、スタイルがいいから、こういう若い子の服が着られちゃうのよ」
というのは、母娘で街に買い物に来ていた一般人へのコメント。
気を付けなければいけ泡菜 食譜ないのは、このコメント、決してほめているわけではないのだ。
洋服は二人で共用してます!と言う若作りの母と年頃の娘に、
「着られるかどうかということと、着て似合っているかどうかは、全然べつなのよね!」とバッサリ。
うっわ~この人、こんな全国の中高年女性を敵に回すようなこと、どうして言えるんだろ?と思いつつも、妙に胸に突き刺さったのでよく覚えている。
当たり障りなくほめるのではなく、こういう辛口なところが痛快で、視聴者にウケていたのだけど、よく考えるとけっこう深いものがある。
中年の立場からはカチンとくるこの発言も、逆だったら分かりやすい。
もし、ミセス向けのデザインの服を若い娘さんが着ていたら、誰が見ても似合うとは思わないだろう。
結局、おしゃれな人は。

それでも私は、キジオのパーカーを普段着にする。
「そんなかわいいの着たって、お肌にツヤがないんだから全然ダメ!」というピーコさんの声が聞こえてきそうでも、断固として着泡菜 食譜続けてやる。  


Posted by laksjidhyhuan at 17:41Comments(0)