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2016年09月27日

当日は連休の中日

しかも「高校生無料デー」という条件も手伝ってか、入場規制されるほどの盛況ぶりである。


初期の作品に、まったくダリらしさがないのに驚いた。
素人の、日曜画家程度の構図、画力のものもある。

ゴッホも初期はまったく作風が違っていた。
ピカソは14歳の頃に、子どもと思えないほどの、才気の萌芽が感じられる絵を描いていた。
画風が変化するのは珍しくない――というより普通は変遷を辿りゆくものだから、驚く話ではないのだが『常識的な』絵がやや意外だった。こちらは、ポスト印象派の影響を受けた筆致で、後年のダリの作風を予想させるものではない。


それ以外にも、点描を用いたスーラ風のものや、ピカソへの崇敬を思わせる絵など、試行錯誤し昇華していった痕跡がみとめられる。


会場が混雑しているのは、入場者が多いから、というだけではない。

ダリの絵は、メッセージ性が高く、謎が多く、主題が非常に複合的である。

芸術作品には「一目見て理解できるもの」「全く理解できないもの(或いは観覧者が理解を放棄したくなるもの)」がある。
後者は――例えば、キャンバスをカッターで引き裂いただけのものなど(私見である)。

ダリの絵は、そのどちらでもない。
後年の写実性の高い作風は、描きこまれているひとつひとつは理解しうるものであるのに、総合的に把握することは難しい。
この絵は、裸婦にも見えるが馬にも獅子にも見える物体が描きこまれている。
観覧者たちは、絵の前で一瞬戸惑いをおぼえる。

そこで説明文を読み、またその視線を絵に食い込ませ、ようやくひとつの解を得る。
それでも、彼のメッセージを完璧に理解してはいない。
もっと深淵なものが潜在する。

ひとつひとつの絵で、皆、逡巡をおぼえるため、どうしても列の進みは遅々となるのだ。  


Posted by laksjidhyhuan at 13:14Comments(0)

2016年09月05日

虫歯の根の治療では

コンポジットレジン(composite resin)を充填してくれた。
 レジンというのはプラスチック樹脂のことで、コンポジットレジンというのはセラミックを混合させたセメント状の混合樹脂という意味になる。
 虫歯の根の治療の専門医は、それをセメントを塗るようにコテでペタペタと歯の欠けたところに充填してくれた・・・
 国立病院では、コンポジットレジン充填は保険でやってくれたが、歯科医によっては必ずしも保険ではないそうだ。材料費と手間と技術が必要な割には、保険点数が低いということらしい。
 
 「この大学病院は治療はともかく、メンテナンスはあまり上手じゃないんですよ。クリニックを紹介しますから、歯周病なども、そこで診てもらった方がいいですよ」
 虫歯の根の治療の専門医は、そうも言った・・・確かに大学病院で治療にあたるのは若い医者が多かった。
 この医師がなぜ、開業医での治療を勧めたのか、本当のところは判らない。
 大学病院で研鑽を積んで開業したベテラン医師の方が、経験豊富で腕が良いのかもしれない。
 あるいは、大学病院はあくまでも研究施設なのだから、メンテナンスは開業医に任せるということなのかもしれない。それでなくても、大学病院は混んでいる。
 あるいは、大学病院が患者を独占していては、開業医が成り立たないので、歯科医同士のある種の互助意識があるのかもしれない・・・
 紹介されたクリニックを訪ねると、たまたま手が空いていて、すぐに診てくれた。
 女性の歯科医だった。年齢的にはオバサンだが、知的美人なのでオバサンというには失礼というか、ちょっと気が引ける。
 
 診察台に座ると、目の前にWINDOWSパソコンのモニターがあった。
 「すごいですね、パソコンのモニターですね」
 正直、何に使うのだろうと思いながら尋ねると、知的美人の医者は紹介状を読みながら、にこりともせずに言った。
 「歯を白くしたいんですね・・・まず、レントゲンを撮りましょう」
 また、レントゲンを撮るのか・・・と思いながらレントゲン室に行くと、国立病院よりもスマートな最新鋭のレントゲン装置があった。
 診察台に戻ると、レントゲン写真が早速モニターに映し出されていた。
 あのレントゲン装置はフィルムじゃなくてデジタル撮影なんだな・・・と思ったが、知的美人の医者の冷たい反応が予想されたので、何も言わなかった。
 口を大きく開けてカメラで写真も撮ったが、やはりデジタルカメラで、すぐにパソコンのモニターに映し出された。
 「まず、歯石を取りましょう」
 そう歯医者に言われて、都合4回、上下の歯の歯石を取りに通院した。 それにしても、国立病院でしたクリーニングって、いったい何だったのだろう? 時間も20分程度だったし、本当に申し訳程度のクリーニングだった・・・
 まあ、それにしても歯石のクリーニングというのは嬉しいものじゃない。歯と歯肉の間をゴリゴリ掃除されて出血もするし、ヒリヒリもする。
 歯石のクリーニングが終わると、歯周病はなかったと医者は言った。そして、いよいよ治療済みの虫歯のインレー(inlay)、充填物の交換の話になった。
 「ハイブリッドセラミックという、セラミックとプラスチックを混ぜたものの方が、長く持つので良いと思いますが、それでいいですか?」
 やっぱ、保険外治療になるのか・・・でも、白い歯にしてほしいと頼んだのは俺だし・・・
 「はい・・・」
 
 保険外インレーには、セラミック、ハイブリッドセラミック、いわゆる金歯のゴールドがあって、それぞれに一長一短があるそうだが、いずれも1本3万円前後からだそうである。
 歯医者はやっぱり高い・・・
 治療費の話を連れ合いにすると、「うわっ、高い」と言ったが、そもそも歯の詰め物を白くしたらと勧めていたのは連れ合いだし・・・
 「仕方ないわね」とも言ったが、年末の入用な時にちょっと迷惑そうだった・・・  


Posted by laksjidhyhuan at 15:24Comments(0)

2016年08月22日

そんな学成り難し中で

今年もジャムを作った。去年作りすぎた反省もあって、今年は必要なだけ作るようにした。
 メローゴールドに始まり、金柑・八朔・ラズベリー・バナナ・苺・パイナップル・ブルーベリー・レモン・杏・プルーン・幸水梨・巨峰・ライム・南水梨・栗・洋梨・柚子・紅玉、スチューベンという葡萄のジャムも作った。
 複数回作ったものもToshiba冷氣あるので、20以上作ったことになる・・・糖尿病が心配だ。

 子供は、「ここ数年手作りジャムを食べ続けてきたので、市販のジャムが食べられなくなった」と嬉しいことを言ってくれる。
 ジャムのホームページ作りにも乗り出したが、こちらは遅々として進まず。
 それでも、今年はジャム作りに大きな変化があって、これまで使わなかったペクチンを初めて使ってみた。
私の台所 ペクチン 30g_

私の台所 ペクチン 30g_
価格:616円(税込、送料別)

 果物によってペクチンを多く含んだものとそうでないものがある。
 多いのは梅・杏・プルーン等のスモモ類、レモン・金柑・柚子・ライム等の柑橘類の一部。
 ペクチンそのものは植日立東芝冷氣比較物の細胞壁に使われる多糖類で、どのような果物にも含まれているが、含有量や結合の度合いもあって、加熱してジャムにした場合にサラサラにしかならない果物が多い。

 砂糖を多めにしたり、レモン汁で酸度を上げてペクチンを溶出しやすくする方法もあるが、甘くなりすぎたり、酸っぱくなりすぎたりする。
 これまでは多少水っぽくても手作りジャムらしくていいや、と考えてきたが、少量の工業ペクチンを加えるだけなら、手作り感を損なわないし、多少粘り気があった方がジャムとして使いやすいのではないかとも考え、スーパーで買って南水梨で試してみた。
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 梨ジャムは水分ばかりで少しも粘らない。それがペクチンを一摘み入れたら、ほんのりと粘った。
 市販ジャムのようなゲル状にはせずに、水っぽさを緩和する程度ならペクチンも使いようだと思った。その後、紅玉・洋梨にも少量入れてみたが、意外と効果的。
 少年老い易く学成り難し・・・多少の進歩はあったか?

 冒頭の写真はアメリカ産の窗口式冷氣機比較ペクチン。オレンジなどから作られているが、日本ではリンゴから抽出するものが多い。   


Posted by laksjidhyhuan at 13:32Comments(0)

2016年08月08日

正直なところだった

秋葉原は子どもの頃から身近な街の一つであっただけに、何かを書こうと思いつつも、なかなか言葉が見つからないというのが、・・・
 事件以来、秋葉原に足が向かなかった。すぐ近くの御徒町(おかちまち)までは行くことがあったが、秋葉原の街には何か目に見えないバリアが張られているような、現実から隔離されてしまった異次元の領域のような気がした。
 6月8日を境に、秋葉原が今までの秋葉原ではなくなってしまったような不思議な感覚・・・
 秋葉原という街が、急に現実感を失ってしまったような感覚・・・
 秋葉原という街が、かつての実体を失ってバーチャル化してしまったような感覚・・・
 うまく、言えない。
 
 私が生まれ育った町は、今は子どもの頃の面影もない。
 そんな変わり果てた町に降り立つと、その中にいる自分が故郷の風景から削除されてしまった、余所者のような感覚に囚われる。
 現実感を感じない風景の中にいる自分は、まるで霊のように実体を持たない影のような存在。
 過去の記憶とともにいる自分が、レイヤーの掛かった風景の中に立っていて・・・そう、この現在の風景はレイヤーに過ぎなくて、その下に自分の頭髮變幼知っている本当の町がある・・・
 レイヤーの中にいる自分は実体を持たない存在で、だからそこは自分にとってはリアルな世界ではないという感覚。
 たぶん、それが今、私が秋葉原に感じているものなのだろう・・・
 
 先週の日曜日、そんな秋葉原をたまたまクルマで通り掛った。
 事件のあった交差点の信号で止まると、工事中のビルの角に献花台が見えた。助手席にいた連れ合いは、献花台の前を通り過ぎる時にそっと手を合わせていた・・・
 1960年代、子どもの頃の秋葉原の記憶は曖昧で、それでも一つだけ明瞭な記憶として残っているものがある。
 小学校5年生の時に、クラスの悪童仲間と、秋葉原にあった交通博物館に行く計画を立てたことがあった。
 交通博物館は2006年に閉館となり、現在はさいたま市の鉄道博物館に生まれ変わっている。
 交通博物館の建物があった場所は、かつては万世橋駅だった。万世橋駅は1912年、明治45年に開業しているが、当時は中央本線の終着駅だった。
 1919年に中央線が東京駅まで延び、1925年に上野駅と神田駅が繋がって秋葉原駅ができると、すぐ近くの万世橋駅は縮小されて、東京駅にあった鉄道博物館が移転したのだという。
 この鉄道博物館が1948年に交通博物館と名前を変えた。
 万世橋駅の廃止對沖值は1943年、昭和18年のことだった。  


Posted by laksjidhyhuan at 16:11Comments(0)

2016年07月12日

上海航路のクルーズ船は国際色豊か

中国人に限らず。大勢の船員がいるのだが、イタリア人を始め、フィリピン・インドネシア・中国といったアジア人やヨーロッパ人ばかり。
 船員は胸に国籍がわかる国旗のついたネームプレートをつけていて、船上では誰もがコスモポリタン。8割を占めた中国人客がそう考壹美健 水光槍えたかどうかはわからないが、この船に国境は存在しない。
 イタリアの船だからか開放的なのかどうかはともかく、船員・船客のすべてがフレンドリーになれる、そんな心地よさがあった。

 海を見下ろせる眺めのいいレストランがあって、昼間は営業していないがソファーで寛げるようになっていた。誰も来なくて静かなので、朝食後に休んでいたら、浅黒い顔の青年がやってきて袖を摑んでなにか言う。
 顔を上げると、青年は尚も袖を引く。隣にいた連れ合いが「バティックよ」という。
 バティック? 青年は頷いて「バティック、バティック」と言って、自分の胸に付けたネームプレートを指差す。
 インドネシア国旗。

 ようやく気がついた。その時私が着ていたのは、バティックというインドネシア特産のろうけつ染めの布地のシャツで、数年前にバリ島に行った時に買ったものだった。
 それを見たインドネシア人の船員が、うれしくなって話しかけて来たというわけだった。
 外国で浴衣を着ている人がいれば、この人は日本に来たことがあって和服がお気に入りなんだと思う。つい話しかけてみたくなる。それと同じ。
13cruise12.jpg
 彼はスマホを取り出して、私たちと記念写真を撮った。インドネシアに帰ったら、きっと家族や友人に見せるのだろう。
 プールサイドでお茶を飲んでいたら、その青年がニコニコしながら手を振る。私のバティックがよほど目に付くのだろう。呼び止めて私たちもカメラで青年と写真を撮ることにした。個人写真なので顔はトリミングしてあるが、いかにもインドネシア人らしい人懐っこい好青年だった。
 青年の着ているTシャ壹美健 水光槍ツには pool attendant と書かれている。プールの係員だった。

 船上ではみんなコスモポリタン。中国人スタッフが多いので、中国語は公用語のように飛び交っていたが、まあ、問題は私の英語力だけだった。

 プールサイドで飲み物を飲んでいると、スタッフがテーブルを回りながら空いた食器を下げて回っている。その中の一人、やや浅黒いので東南アジアの人だろう。近づいてきてコップは空いているか? というジェスチャーをする。どうやら、中国人と思ったようだった。
 私が “Finished” と言うと、彼は英語でどこの国かと訊く。日本人だと言うと、大きく頷きながら “Finished”と何回も繰り返しながら、日本人はそう言うのかという顔をして帰っていった。
 一瞬、私の英語が変だったのか? と不安になる。
13cruise17.jpg
 それにしても、これだけ中国人が多いとみんな中国人に見えてくる。
 毎日の船内のお知らせが載っている船内新聞というのがあって、それをもらいにインフォーメーションのカウンターに行くと東洋人のスタッフがいた。

 てっきり、中国人だと思って英語で話しかけたところ、「なにかご用ですか?」と訊かれた。思い込みというのは不思議なもので、日本語で訊かれたのにしばらくそれに気づかなかった。
 英語で二、三言話し始めてから、??? ようやく相手が日本人だということに気づいた。一瞬、言葉を詰まらせて失笑すると、その女性もほほ笑みを返してくれた。(続く)

※「横浜-上海、クルーズ船の旅壹美健 水光槍はまだ続きますが、長くなったので一旦中断します。次回は、奥日光紅葉狩りの予定です。  


Posted by laksjidhyhuan at 16:21Comments(0)

2016年06月24日

日本の雑誌を頂いた



ある雨の日、「この日だ!」とばかりにその貴重品を手に取り、ソファに陣取り楽しんでいた。特集は脳のアンチエイジング。皮膚のアンチエイジングは無駄を承知で果敢に挑んでいる日々なのだが、脳にもアンチエイジングが必要らしい。特集によると脳の若さを表すものの一つに記憶力の良さというのがある。それなら自信がある。専門家は「記憶する力と言うのはどPretty renew 呃人のように鍛えられるか」という質問に以下のように答えていた。

「何かを覚えるには、その情報を反復して脳に入力する必要がある」

高校生の時、そして大人になって学生に戻った時、あの勉強法は正しかったんだ。
理解は別にして私は覚えるのが得意だった。いらない紙をバインダーの中にいつも用意し、覚える時はあたかも自分が先生になって人に教えるかのように、その紙の裏を黒板に見立て自分に説明しながら書き綴る。声に出しながら手を動かしながら。

続いてその専門家は書かずとも常に「思い出す努力」をすることも大切だと言っていた。それも得意。しかも努力なしに毎日している。「思い出す努力」をすることで思い出も作られていくらしい。私は思い出すのが大好きだから、思い出が多いのだろう。「昔は良かったのに」と後ろ向きに振り返るのではなく、懐かしみたいがために出来事を頻繁に思い出そうとする。

思い出には私が「高校時Pretty renew 呃人代はノートに書いて覚えたなぁ。」と自分だけで作る思い出もあるが、もちろん一人では無く誰かと作る思い出もある。そして誰かが関わるとその思い出はさらに「懐かしみ」を覚えるような気がする。思い出は生きている限り常に作り上げていくことが出来るもの。そう、今この瞬間も。でも思い出を作りたい相手がもうこの世界にいない場合には、その人との思い出は自分が持っているものだけとなり、だからこそそんな思い出はさらに頻繁に思い出そうとし深く深く心に残って行くのだろう。

空の世界には大好きだったおばあちゃんを含め、もう会えない人が生きている。その中に、私がまだアメリカに来て2年ほどした時に赴任してきた哲の上司の奥様、数年前に若くして他界されたRさんがいる。Rさん、空の世界でお元気ですか。

私より後に赴任してきたRさんとは赴任時期が重なった1年弱の間、プライベートにもお付き合い頂いた。そしてそのどの場面も、様子も、言葉も、私は本当に良く覚えている。それは私がチリに行き、アメリカに戻って来て他界されたと聞いた数年前まで、「お元気かな。どうPretty renew 呃人されているかな。あぁ、あの時、あんなことして、こんなこともしたな。」と頻繁に思い出していたからだろう。  


Posted by laksjidhyhuan at 17:10Comments(0)

2016年06月22日

こんなに服が多いのか



アメリカはウォーキングクローゼットなる便利な収納場所があるから、基本的に衣替えはいらないはずだ。それなのに、日本にいる時同様に德善健康管理年に二度、毎年ムシューダを手に衣替えをする。クローゼットに納まりきれない服たちはベッドの下の収納ケースや、ゲストルームのクローゼットに隠される。こうして毎年衣替えをする度に、多すぎる物を見て気分が悪くなる。なぜ。

真っ白なシャツにジーンズを自分の「服装」にしている人がいた。質の良い白いシャツを何枚か揃え、それに質の良いジーンズを何本か持ち、毎日毎日その服装をしていれば、周りの人も「同じ服を着ている不潔な人」とは思わずにむしろ、「お洒落な人」「こだわりのある人」と思うだろう。それに本人は何より、毎朝悩まなくて済む。
小学生、中学生、高校生の時は制服があって楽だった。でも、大学に入り、毎日違う服を着て「その服可愛いね」なんて言われるのも嬉しいから、服は増えていくのだろう。私が自分に毎日着る「制服」を用意してあげるとしたら、何を選ぶだろうか。選べないからこんなにたくさんの服があるのだろう。

数年前に断捨離という德善健康管理言葉を初めて知った。狭い日本では何か流行ると瞬く間にその流行は縦断するから、海外にいる私の耳にも誰かしらを通して「断捨離」という言葉は渡って来た。

物を片づけたり捨てると言うのは心地良いものだ。分かっているが難しい。先日DCを訪れた友達が「断捨離」について話していた。
「全ての服を集めて、一枚一枚手に取り、ときめくかときめかないかで捨てるものを捨てないものを決めるんだよ。」と言っていた。そしてその言葉を聞いた私は早速ウォーキングクローゼットに入り、一枚一枚服を手に取る。

ときめかない
ときめかない
これもときめかない
これも、、
これも、、、、

たくさんある服の中でときめく服は数枚だった。
それなら、なぜ、それらを捨てることが出来ないのだろう。

問題点を考えた。ときめかない服たちは10年前はときめいて買った服なのだ。そして、よそ行きとして買った服は、「よそ行き」用だから、お洒落をしたいと思う時にしか着てもらえない。別に高級な服という訳では無く、「これはよそ行き」と思って買ってしまった服なのだ。もう流行遅れでときめきも失われてしまった服ならばランクを下げ普段着にして、とことん着てサヨナラすれば良いではないか。ヘロヘロになったTシャツを普段着に着るよりよっぽど良いと思うのだが、、、

それが出来ない。

だって、これはよそ行き用。

最近になってこの考えが服を増やさせていることに気付いた。それ以来、よそ行きだったものを努力して普段着に着るようにし、疲れさせ、人生ならぬ「服生」を全うさせてあげようと試みる。

あぁ、何かを捨てるって難しい。決断するって本当に難しい。

そして、ここ数週間、私は毎日用も無いのにクローゼットに行き、服を手にとっては考える。
これは断捨離か。よそ行きから普段着にするか。うーーん、、もったいないような、、、。
そして、またその服を元あ德善健康管理った場所に戻す。
その代わり、人の服に手を伸ばし、ときめかない!ときめくわけがない!と決めつけて、

哲!この服、もう捨てたら~?ぼろぼろだよ!とクローゼットから叫んでみる。  


Posted by laksjidhyhuan at 17:33Comments(0)

2016年06月10日

自分に似合うものを知っている人なのだ



考えてみると、30年前に比べて、年代ごとの服装の垣根は低くなっていると思う。
昔の大人たちに比べ、今泡菜 食譜の大人は若い恰好をしている。
子ども時代、私の母も近所のおばさんも、胸にかわいいキャラクターの大きなプリントのついたパーカーなんて、着たりはしなかった。
そういうものは若い子の着るものだった。
世の中もいろいろ変わったし、そこで生きている人々の感覚も変化してきている。
今は好きなものを好きに着ていい時代!
似合ってさえいればいいのだ。
しかし、この似合っているかどうか ということが意外に落とし穴だったりもする。

もうずいぶん前になるが、テレビで見たピーコさんのファッションチェックでのトークを思い出す。
「今の人ってね、スタイルがいいから、こういう若い子の服が着られちゃうのよ」
というのは、母娘で街に買い物に来ていた一般人へのコメント。
気を付けなければいけ泡菜 食譜ないのは、このコメント、決してほめているわけではないのだ。
洋服は二人で共用してます!と言う若作りの母と年頃の娘に、
「着られるかどうかということと、着て似合っているかどうかは、全然べつなのよね!」とバッサリ。
うっわ~この人、こんな全国の中高年女性を敵に回すようなこと、どうして言えるんだろ?と思いつつも、妙に胸に突き刺さったのでよく覚えている。
当たり障りなくほめるのではなく、こういう辛口なところが痛快で、視聴者にウケていたのだけど、よく考えるとけっこう深いものがある。
中年の立場からはカチンとくるこの発言も、逆だったら分かりやすい。
もし、ミセス向けのデザインの服を若い娘さんが着ていたら、誰が見ても似合うとは思わないだろう。
結局、おしゃれな人は。

それでも私は、キジオのパーカーを普段着にする。
「そんなかわいいの着たって、お肌にツヤがないんだから全然ダメ!」というピーコさんの声が聞こえてきそうでも、断固として着泡菜 食譜続けてやる。  


Posted by laksjidhyhuan at 17:41Comments(0)

2016年05月04日

ボケ防止効果あり


魚介類には白ワインのほうがよさそうだが、の赤ワインをチョイス。
先日のある日、何気ない私の失言と悪態が重なり、夫は大爆発、大噴火、ブチ切れた。
昨夜は、全く意図しない、私の何気ない(何も考えないで言った)一言で、
夫は、上機嫌。
やたら、ボルテージが上がっていた。
同じ、何気ない発言でも、こんなに上と下、天と地、違うものだと、感心した。
夕食も食べる暇なく、仕事でへとへとに疲れた平日の深夜と、
お泊りゴルフ後の日曜日、夕方とでは、状況は全く違うのだが。
夫はそのスイッチが入ったまま、今朝は、ご機嫌ヨロシク仕事に出かけた。
大量の時間を切り売りし、肉体を駆使する労働を生業(なりわい)とする夫。
労働時間は、ものすごく長く、しかも超多忙を極める。
おまけに機械相手ならまだしも、目も口もある人間相手なので、神経もすり減る。
月曜日の朝から、機嫌悪くスタートすると、仕事への気分的影響もよろしくない。
なので、私の、意図しない、偶然の何気ない一言が、
プラスの方向に、誤作動したようで、それが功を奏した。
誤作動でも、プラス方向なんだから、ま、いいか。
先日の、ぶっちギレと合算すると、平均点に戻っただけだが。
人間、どんなところに、スイッチがあるのか、よくわからないものだ。
時には、マイナスのスイッチを入れてしまうこともあるし、
地雷がいっぱい。
未だに私は、スイッチ・ルールをしっかり把握しておらず、不思議顔。
これを意図して使い分けられたら、教祖様にでもなれるだろうが、
凡人、もしくはそれ以下の私は、偶然去頭皮洗髮水に、すがるしかない。
  


Posted by laksjidhyhuan at 14:50Comments(0)生活

2016年04月27日

昨日は、歌舞伎に行った


新歌舞伎座 新開場記念 杮落し興行 「二十一世紀歌舞伎組 公演」
難波から、上六に新しく会場が移った記念公演のようだ。
新しい商業施設もオープンし、賑わっていた。

ダンスの先輩でもある、経験豊かな人生の先輩M女史に、
歌舞伎を見に行く時の服装の体験談、アドバイスを伺うと、
「皆さん、オシャレして行ってるわよ」とのこと。
おめかしどころか、上質の服もない私だが、暑い時に、まとわりつく服は大嫌い。
ストッキングは、葬式・法要の時のみ着用。
汗ばむ皮膚に、あのチクチク感、引っ張り・ひっ付き・密着感が耐えられない。
(私は、今のところは、女婚禮統籌文憑課程
性特有の冷え性とは全く縁がなく、
夏に靴下をはいている人の感覚が、わからない、たまたまラッキーな体質)
着物は、着る気、さらさら、なし。
(和顔なので、着物は似合うタイプだと思うけれど→ど厚かましい? 多分)
目的は、服の披露ではなく、歌舞伎なんだから、
疲れない適当な服で、と思いつつ、あれやこれやと悩む。
今年初頭、尾上菊五郎氏、富司純子氏、プラスご子息 五代目 尾上菊之助氏のパーティに、
場違いな格式のない服装で参加し、
ちぐはぐ感たっぷり、窮屈糖尿病性黃斑水腫な違和感を感じた悪夢が甦ってくる。  


Posted by laksjidhyhuan at 13:16Comments(0)生活